内藤新宿を歩く

西念寺


内藤新宿」を分かる人は江戸通?四谷から新宿あたりを散策しました。まず「西念寺」で服部半蔵のお墓を参り「愛染院」で高松喜六と塙保己一の墓,「須賀神社」,「お岩稲荷田宮神社」それに「新宿歴史博物館」。ここで疲れきってしまいました。普段歩きなれてないせいで,運動靴を履いてきたまでは良かったのですが,足が痛くなってきました。途中,甘味処の四谷若葉のたいやき屋さん「わかば」もお休み。万事休す。

服部半蔵の墓


愛染院の高松喜六の墓(実際は中までは入れませんでした)「新宿」を作った人と言っても過言ではありません。当時の江戸の甲州街道は江戸日本橋から第一の宿場「高井戸」まで4里もあったため,その途中に喜六は幕府に申請して信濃高遠藩主,内藤家の下屋敷に新たな宿を作ったのでした。それで「内藤新宿」と呼ばれるようになったわけ。塙保己一は江戸時代の国文学者「郡書類従」で有名。西念寺服部半蔵は「伊賀忍者」で知られていますが,槍の名手で徳川家康の長男信康の自決の介錯をしたと言われ,その供養のために西念寺を開いたと言われています。須賀神社には三十六歌仙絵があります。柿本人麻呂山部赤人紀貫之小野小町在原業平などの歌一首が絵とともに残っています。



「お岩稲荷」は「東海道四谷怪談」で有名になったので知られています。もちろん,江戸時代の歌舞伎作家鶴屋南北の歌舞伎で有名になったので,実在のお岩さんは美人で貞淑,働き者であったようです。歌舞伎を上演する前に必ずお参りにくるのでまた有名になったのですが,怪談では道具立てやトリックに懲り,まして暗いので事故や怪我も多いのでそれに結びついたとも言われています。私はこの稲荷の責任役員総代という方を知っているため,よけい身近に感じご朱印を押してしばらく休んでいました。

途中「イタリア自動車雑貨店」に寄りました。1ケだけ残っていたmaserati corseのストラップをGET。江戸散策とイタリア車雑貨店,このギャップが自分でも信じられないところではあります。でも四谷三丁目なので近くなんですよ。まだまだ江戸散策は続きます。

江戸時代の内藤新宿のようす「新宿歴史博物館蔵」

イタリア自動車雑貨店 イタ車エンスーには感涙の店