漱石を書く 島田雅彦

rensan2007-10-11

漱石を書く (岩波新書)

漱石を書く (岩波新書)

今年は,夏目漱石朝日新聞に入社して100年目だそうで,江戸東京博物館で「文豪・夏目漱石」(9/26-11/18)が開催されています。国民に圧倒的な人気の漱石を作家が「漱石を書く」と銘して挑んでいます。著者は「書き手として,自己認識の悪循環をすり抜ける一つのテクニックとして,漱石が唱えた写生文を,自分の創作法に応用したい」また「明治と平成の時間のギャップをも超えて,漱石のように書くこと,漱石を書き換えてしまうこと,それらをひっくるめて,漱石を書くことはいかに可能かを問うてみたい」と言っています。

我輩は猫である」から「明暗」まで15作を順次,作品の部分を取り上げながら語っていきます。非常に面白く読んだのは漱石は根本的に女嫌いではなかったかということです。「三四郎」では女性そのものの意識と直面せざるを得なくなり,それ以後「確信犯の女嫌い」になって,「異性愛を三角関係において描き,その三角関係崩壊後の風景を好んで描くようになる」
三四郎」で有名なシーン。熊本から上京途中知り合い,同宿した女性から別れ際「あなたはよっぽど度胸のないかたですね。」と言われます。このように言われたらどう感じるでしょう。その後知り合った女性にも「迷える子(ストレイシープ)」と言われる。ますます漱石の「女嫌い」が顕著になっていくのです。作者はそればかりでなく「それから」では「三角関係には同性愛が隠されていた」とまで及びます。「門」「行人」「こころ」の作品世界は同性愛という別な側面からアプローチできると述べています。
神経衰弱と狂気,極度の女性嫌い?現代人が陥りやすい問題を「漱石は今日いかにリサイクルできるか」という考察で挑んだのは興味ある点だと思います。