開花異国助っ人奮戦記 荒俣 宏

rensan2008-07-20

H.J.ブラック(1858-1923)
最近外国人から見た日本での記録を続けさまに読みふけっています。特に明治維新時期は面白いものが多いですね。ドラマではない,本当の会話やエピソードが分かったりします。今回は文明開花期の「お雇い外国人たち」のオンパレードです。よく知られた「青年よ大志をいだけ」のW.S.クラーク(1826-1886)などは知っているものの,初めて知る「助っ人」がたくさんいます。面白く感じたのは英国人真打ち H.J.ブラック(1858-1923)です日本への滞日期間も書いてあるので参考になります。彼は61年とあります。「快楽亭ブラック」と名乗っていてなんとレコードに声が残っているとのことです。彼は日本の演芸(三遊亭円遊,柳屋小さんなど)録音する仕事の窓口になり,数百枚のレコード録音にたずさわった功績があるようです。しかし,最初のうちは珍しがられたようですが,「伝統と既得権と慣習を一気に破られることを恐れた」古い世界の人々からかなりのイジメがあったのではないかと記しています。最後に「日本は,こんなに愛すべき助っ人芸人をも,見捨ててしまった」としめくくっています。

W.S.クラーク(1826-1886)
意外だったのは最初に触れたクラークです滞日期間はわずか10ケ月,なんとアメリカの大学に籍をおいたまま日本にやってきて,あっという間に帰国しているのです。筆者はクラークの来日の目的は1農学校の運営 2キリスト教教育 3自然科学的関心としています。北海道に銅像が建っていますが,あの名言は「どうでもいいような別れの挨拶だった」と言い切っています。合計26名にもおよぶ「助っ人」外人を挙げ,青山墓地の外人墓地で一番立派な墓と質素な墓とに葬られた人物などにもスポットをあてて書いていて,面白い筋立てになっています。相撲の世界を席巻しているのは外国人力士であり,演歌歌手にも黒人のジェロなど出てきて「助っ人」ではない外国人が増えてきています。

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