*ケンペルと徳川綱吉 BMボダルト・ベイリー
ケンペルと徳川綱吉―ドイツ人医師と将軍との交流 (中公新書)
- 作者: ベアトリス・M.ボダルト・ベイリー,Beatrice M. Bodart Bailey,中直一
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1994/01/01
- メディア: 新書
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外国人から見た日本についての本を読んでいますが、ケンペル(Engelbert Kaempfer1651-1716)はもっとも古い時代に来日した人の一人です。1690年の9月21日(39歳)に長崎の出島に到着したことになっています。出島の商館付きの医者という地位に付きます。江戸は元禄3年でまさに文化・芸術ともに開花していてケンペルには「日本の豊かさ」に映ったようです。「生活習慣や芸術、道徳の点で、この国の国民はほかのあらゆる国の人々を凌駕している」と述べています。それも「偉大で卓越した君主」の徳川綱吉のおかげと評しています。綱吉と言うと5代将軍の悪名高き「犬公方」の方が日本人には根強いイメージがありますが。
謁見の広間の内部(将軍の命令で踊るケンペル)
ケンペルと綱吉は3つ違い、ほとんど同じ年齢で亡くなったことになります。綱吉には2度会っていて将軍の前でダンスをし、歌を歌ってみせ、その上綱吉のことを賞賛する文章を残し、後世、日本を知るための文献として「日本誌」The History of Japan (1727)が残るとは誰も想像しなかったことでしょう。ケンペルは日本人に天文学や数学を無報酬で教え、無料で日本人を診断し、薬を与え、日本人の好む甘いリキュールを与え、どのようなことでも聞き出せたといいます。日本の動植物,歴史,風俗などあらゆるものに関心をよせました。将軍との謁見も「千畳敷」の広間に山のような贈り物を置き、謁見を行われる場所の畳は外されていたといいます。実際ケンペルのスケッチ画でもよくわかります。将軍との間には御簾がかかっていて、その隙間から覗き見する人が少なくとも30人はいたと記しています。そして綱吉の前で歌った歌の歌詞まで残っています。一部を引用しましょう。この全5節からの恋歌は大いにうけて何度もアンコールに応じたとあります。
4 天の御子 偉大なる将軍 この遠い異国の支配者よ 財宝にあふれ 力をほしいままにする人よ わたしは あなたの玉座の前で 誓って言おう あなたの富も あなたの栄華も あなたのまわりの美女たたちも あなたの栄光は すべてわが愛しい人にくらべれば 何の価値もない