黒船前夜の出会い 平尾信子

cooper

Mercator Cooper 1803-1872

マンハッタン号

クーパー船長の家

横浜開港150周年記念行事(4/28-9/27)がGWから始まろうとしています。早速「ENEOS ラ・マシン」巨大クモ?が上陸。今回の話題はこれだけ?
ペリーが日本に開国をせまったのは知られていますが,実はもっとそれには深い下地があったようです。この書ではペリーが来る8年前,浦賀に来航した「マンハッタン号」が開国のきっかけになったのではと説いています。「黒船前夜の歴史秘話」となにやらドラマ要素の入った先を読ませる本になっています。

マンハッタン号はアメリコネチカット州ロングアイランドのサウスハンプトンという町のサグ・ハーバーから出航した捕鯨船で,昔から組織的な捕鯨で知られたところだそうです。クジラは照明用の油,ろうそくの原料,女性用のコルセット,傘の骨などに使われ捕鯨が盛んだった。1843年11月9日に就航したマンハッタン号は日本近くまで来て鳥島で漂流している日本人を救助するわけです。最初クーパー船長は(Mercator Cooper 1803-1872)千葉千倉あたりから江戸に入ろうとしたがゆるされず,浦賀にて漂流民を無事帰還させることができたのでした。

そのころの日本では普通なら漂流人は長崎で受け取り,オランダか中国にいったん引き渡すというように,今でいう役人の論理がまかり通っていたのです。これに老中の阿部正弘は英断を出し,「漂流民を浦賀で受け取る」のです。これからマンハッタン号のニュースがアメリカ本土にもすぐに伝えられその話はペリーの耳にも入るようになったのでした。マンハッタン号での漂流民の1ケ月ばかりは丁寧な扱いをされ,浦賀で別れる際は手を取り合い涙で別れを惜しんだ。最後に筆者は「クーパー船長は,ペリー艦隊の先駆けであり」「日本人が生きていく方向を探ろうとするとき,クーパー船長と日本人漂流民たちの物語は,国と国のつながりも,まず一人一人のつながりから始まっている」と結んでいます。わずかに竹芝桟橋にクーパー船長の人道的行為を記念する碑が残っているのみであるといいます。

⇒1クリックお願い人気ブログランキングへ