回想の織田信長 フロイス「日本史」より

frois

   Luis Frois1532-1597
これほどリアルに信長を書いてあるのがあるでしょうか。歴史書を読むより,TVを見るよりこのフロイス(Luis Frois1532-1597)「日本史」に書かれている報告書は事実を語っているでしょう。ルイス・フロイスは1563年に日本に着いたときは31歳でした。それから30年余も日本に在住し,宣教師としての報告書を「日本史」と表しているので,その史料性と信憑性は間違いないものでしょう。

彼は足利義輝 義昭 織田信長 豊臣秀吉の時代に日本で宣教師と過ごし,上は将軍から庶民にいたるまで接触し,在日宣教師の情報をすべて閲覧できるもっとも日本通の人でもありました。「彼は中くらいの背丈で,華奢な体躯であり,髭は少なくはなはだ声は快調で・・」「非常に性急であり,激昂はするが,平素はそうでもなかった。酒を飲まず,食を節し,人の取り扱いにはきわめて率直で,自らの見解に尊大であった」とあります。最近のNHKドラマ「天地人」で信長がテーブルすわりで赤ワインを手にしているのは真実ではないようですね。

また彼が格別に愛したのは茶の湯の器,良馬,刀剣,鷹狩,相撲などのようです。彼の気性の激しさは尋常ではなく,彼の父が瀕死のとき祈祷した仏僧に病気から回復するか訊ね,回復すると保証したが,数日中に父が死んだため,その僧たちの数人を射殺したとあります。公方のために城を建設中,一兵士が戯れに貴婦人の顔を見ようと被り物少し上げたとき,信長はすかさず目撃して一堂の目の前で彼の首をはねたというのです。

明智光秀
そのほかにフロイスの報告書は本能寺での信長や明智光秀のことも書いています。信長は本能寺で手と顔を洗い終え,手ぬぐいで体を拭いているところに背中に矢がささり,信長はそれを引き抜き,自ら弓を引いたが弦が切れ,薙刀を持ってしばらく戦ったが腕に銃弾を受けると部屋に戻りそこで切腹したと記しています。これはよくドラマでも見る場面ではありますが,どきどきする歴史上での光景でもあり,貴重な記録です。『敦盛』の一節「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」を舞って切腹したのも違うようですね。

明智光秀の最期もむごい報告になっています。坂本の城に戻ろうとしている光秀は百姓らに捕らえられ,首をはねられたが,見せしめのためあらためて体に首をつなぎ,裸にしてさらしたとのこと。淡々と報告されているフロイスの文の終わりに「信長がきわめて稀に見る優秀な人物であり,非凡の著名な司令官として,大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない」「傲慢さと過信においても信長に劣らぬ者になることを欲した明智も,自らの素質を忘れたために,不遇で悲しむべき運命をたどることになった」 と閉めています。

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