坂の上の雲 第1巻 第2巻 司馬遼太郎

rensan2010-03-02

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (2) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (2) (文春文庫)


秋山好古(1859-1930)

秋山真之(1868-1918)

司馬遼太郎氏の長編小説をNHKとしては珍しい3年にもわたって放映するという。なぜ3年もかけて放映するのかと誰もが思うことかもしれません。司馬氏もこの作品は10年かけて書き上げたといいます。撮影のセットや出演者のスケジュールなどなど問題も多かったのでしょう。同じ時期に「龍馬伝」もスタートしていますので大作が続くのをあえて放映するのは偶然か時期を同じくしているのかわかりません。また,いつも思うことですが,ドラマの原作を読むのが先か後かという問題です。ドラマを見てからだと出てくる人物とドラマでの俳優が重なって見えてくるのは当然です。秋山好古が食事もしないで酒ばかりを飲んでいると俳優の阿部 寛のTVでのしぐさが思い浮かびます。好古が日本人離れした容姿をしていたと書いてあると阿部 寛みたいだったのかと思い実際の好古の写真を探してみたいと思います。今回は放映の時期が離れているので8巻もある原作を先に読んでしまいそうです。


正岡子規(1867-1902)
第一巻では秋山好古秋山真之兄弟と正岡子規のおいたちから始めています。好古は日露戦争のとき「日本の騎兵を育成し,日露役のとき,世界でもっとも弱体とされていた日本の騎兵集団をひきい,史上最強の騎兵といわれるコサック師団をやぶるという奇蹟を遂げた」人であった。彼が陸軍士官学校に入るときの作文課題が面白い。「飛鳥山ニ遊ブ」東京の桜の名所を好古が知るわけもない。「鳥が大喜びで遊んでいる」という内容を書いたがそれでも士官学校にうかったといいいます。一方弟の真之はこれまた当時では世界最強のロシアのバルチック艦隊を,東郷平八郎の率いる連合艦隊がやぶった時の参謀で,東郷の作戦はことごとく真之が考えたといいます。有名な電文も真之が書いた。「敵艦見ユトノ警報ニ接シ,聯合艦隊ハ直ニ出動,之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレド浪高シ」

第二巻では「日清戦争は,天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である」戦争から始まっている。正岡子規は病気ながら従軍記者となり戦地に行ったがすでに戦争は終わり,1ヶ月あまりの従軍も終わった。帰りの船旅で倒れ神戸の病院に入院,小康を得て,松山に戻る。そのとき松山中学の英語教師としてやってきた夏目漱石と同じ家にすむことになった。どうも二人は文学を好んで知り合ったのではなく互いに寄席好きだったからのようです。漱石の子規感は「なにごとも大将にならねばすまぬ男で」と思い。一方子規のほうは自分の母親に「この夏目はなかなか勉強家で成績もよいぞな」と紹介している。ロシアの政情にもふれ,日露戦争のときの皇帝はニコライ二世だった,彼は24歳のとき日本に来たとき日本の巡査に切りつけられた事件があった。それらも含め彼は公文書でも日本人のことを憎み「猿(マカーキ)」と呼んだとのことである。司馬氏は「日露戦争は祖国防衛戦争」と言っています。テレビドラマにするには重い内容です。氏もドラマや映像にはしたくなかったようです。どのようにドラマが展開していくかは楽しみでもあり不安も含んでいます。

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