坂の上の雲 第7巻 第8巻 司馬遼太郎
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28サンチ榴弾砲
姿を現したバルチック艦隊(2枚とも「日露戦争と明治の群像」(世界文化社)より)
一方,バルチック艦隊はゆっくりと東へ進んできていた。長い航海で士気は落ち,病人は出て日本海軍の夜襲などの警戒に神経もくたくたになってきていたようである。バルチック艦隊がどこを通るかが日本海軍にとっては勝利を決すほどの重要性を帯びていることを説明している。対馬海峡を通るコース,太平洋を通って,津軽海峡を通るコース,宗谷海峡を通るコースの3通りが考えられた。参謀の秋山真之は対馬海峡だとは考えていたがゆれていた。東郷だけが「それは対馬海峡よ」と言い切り「世界の戦史に不動の位置を占めたのはこの一言によって」と述べています。「敵艦見ゆ」の有名な電信が打たれるのもまじかにせまっていたのでした。
日本海軍旗艦 三笠
バルチック艦隊旗艦 スワロフ
最終巻はいよいよ東郷艦隊とロジェストウェンスキー率いるバルチック艦隊の海戦を描いています。後世,言い伝えられる名言や行為もいくつかあります。バルチック艦隊を発見して無線で伝える「敵艦見ゆ」。大本営にうつ電報の最後「天気晴朗ナレドモ波高シ」これは天気予報の文章だったといいます。原文は「天気晴朗なるも浪高かるべし」を簡潔に秋山直之が書いたものである。無線機はHAMでならずとも気になりますが,日本のは「36式無線電信機」現在横須賀の三笠の中に復元されてあります。一方ロシア側はマルコニー会社製の無線機で世界一の性能を誇ったとあります。5月27日午後1時55分Z旗が揚がる「皇国の興廃此ノ一戦に在リ、各員一層奮励努力セヨ」。東郷の右手が高くあがり,左へ向かって半円をえがくようにして一転した,取舵一杯「T字戦法」。
そのほかにも長期にわたる会戦を予測して,燃料の石炭を余計に積みこんでいたのを海に捨てる作業,バルチック艦隊が苦労して石炭を積み込んだのとは大変な違い。他に,戦艦をきれいに洗剤で洗って消毒する。戦争前に船をきれいにすることもあるが,砲弾が炸裂して船の各部が飛び散り,皮膚や体内に入り込んでも化膿しにくくする,同じように消毒済の戦闘服に着替える。そして,砲側に砂をまく,これは砲側が血みどろになった場合兵員が足をすべらさぬようにとのこと,恐るべき作業が進められ,想像を絶する世界が広がり始めていたのでした。
三笠で指揮をとる東郷平八郎、書類を持っているのが秋山真之 Z旗がひらめいている
ロシアの旗艦スワロフは集中的に攻撃をうけ,日本軍の砲弾はすべて命中するように降り続けたといいます。下瀬火薬の威力も絶大であったといいます。海戦後,バルチック艦隊長のロジェストウェンスキーは捕虜としてつかまり,佐世保の海軍病院に入院する,そこに東郷が見舞いに行く場面がある。秋山真之も同行している。無口な東郷から誠意ある見舞いの言葉ののちロジェストウェンスキーからは目に涙をにじませ「私は閣下のごとき人に敗れたことで,わずかにみずからを慰めます」と答えたといいます。秋山真之は戦争後は肉,血が飛び散る修羅場を見ていたときからだろうか宗教に向くようになり,50歳で亡くなる。兄の好古のほうはその後松山の私立学校の校長をやった。亡くなったときは「最後の武士が死んだ」と言われた。ここに幕末から明治にかけて国家体制が作られていく中,戦争に生きた兄弟の話が終結するのでした。
この感動の長編全8巻を読み終え考え深きものがありました。100年も昔の戦争,いや司馬遼太郎の物語が現代に問いかけるものとは。「まことに小さな国が,開化期をむかえようとしている」で始まる書き出しですべてを表しているようにも感じます。のどが渇いて「東郷ビール」正確には「昔フィンランドで製造販売されたAmiraali(提督)ビールの中の1本(現在は日本製造)」を飲み干しました。薩摩焼酎「東郷」が長編を読み続けるにはいいかもしれません。
東郷ビール(通称)日本ビール株式会社 焼酎「東郷」
焼酎「東郷」薩摩酒造
「東郷ビール」に関しては下記のサイトが詳しいので参照してください。
http://suomi.racco.mikeneko.jp/Elama/togo-j.html