フロイスの日本覚書 松田毅一

rensan2011-02-12

フロイスの日本覚書―日本とヨーロッパの風習の違い (中公新書 (707))

フロイスの日本覚書―日本とヨーロッパの風習の違い (中公新書 (707))

副タイトルに「日本とヨーロッパの風習の違い」とありますが,前に「回想の織田信長」でも書いたLuis Frois(1532-1597)は16世紀後半に30年近く日本に滞在したポルトガル宣教師でした。この資料はマドリードの王立歴史学士院図書館に所蔵されたもので,和紙に書かれていて,1585年6月14日長崎のカズサ(現在の、長崎県南島原市加津佐町)にて記したものらしい。その時期は,秀吉が紀州征伐を終え,関白に就任するときでもあったのです。
http://d.hatena.ne.jp/rensan/20090425/1240732439(回想の織田信長

フロイスが書いた日本覚書は,シナ北側にある得意な文化を持った人々を,単にヨーロッパ人と比べてたものではないことです。またこれを読んで日本人がいかにヨーロッパ的なものを受け入れようが,日本の古くから伝わるものは捨てずに,大事にしてきたかも知るものです。この中から興味を引いた箇所を挙げてみます。

○ヨーロッパでは未婚女性の最高の栄誉と財産は貞操であり,純潔が犯されないことである。日本の女性は処女の純潔をなんら重んじない。それを欠いても,栄誉も結婚も失いはしない。
○われわれにおいては,ある女性が 裸足で歩けば,気違いか恥知らずとみなされるであろう。日本の女性は,貴賎を問わず,1年の大部分はいつも裸足で歩く。
○ヨーロッパの子供は,青年になっても口上ひとつ伝えることができない。日本の子供は,10歳でもそれを伝える判断力と賢明さにおいて50歳にも見える。

○われわれの子供たちは,素行上,たいして思慮分別も優雅さもない。日本の子供たちは,その点,異常なほど完璧で,おおいに感嘆に値する。
○われわれにおいては,挨拶は落ち着いた厳粛な顔でおこなわれる。日本人はいつも必ず偽りの微笑でもっておこなう。
○われわれにおいては,人殺しは肝をつぶすことだが,牛や牝鶏や犬を殺してもどうということはない。日本人は動物を殺すのを見ると肝をつぶすが,人殺しはありふれたことである。
○われらにおいては,自殺はきわめて重罪とみなされる。日本人は戦いにおいて,もはや力つきたとき,切腹すること,それが大いなる勇気なのである。

このように日本人がほとんど意識すことのもないようなことを,ヨーロッパ人と比較(ときには間違った理解もあった)することにより当時の日本人の風習がよくわかり,また彼らには異質な文化圏が存在していたことが分かるのです。
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