関家住宅 横浜市都筑区



友人の生家が「国の重要文化財になっているんだよ」と聞いていました。よく西洋映画に出てくる貴族が「古いお城で暮らしにくいよ?」と匹敵するようなものです。それではお伺いしようと,なんと関家の息子様より直々に案内していただきました。「新編武蔵風土記稿」にも記されている旧家,原則として非公開だが,1年に1回の一般公開がされ,それも抽選だといいます。代々名主をつとめ代官も兼ねていて,関東地方で最古級の住居だと言われています。将軍が鷹狩にきて休息したといわれる書院には将軍家からいただいたという葵紋入りの弁当箱も飾ってありました。

古地図や家の間取りの絵が飾ってありましたがかすかに「寛保三年」(1743年)と読めます。第8代徳川吉宗将軍の時代のものでしょう。享保の改革が行われた時期で,新田開発も奨励され武蔵野新田もその中にはいっていました。青木昆陽が甘藷栽培を奨励したのもこの時代なんですね。そのようなことを背景にして想像をめぐらしたら,生き生きとした歴史が見えてきます。また,この土地一体が関家のものであったようです。家ばかりか山林・畑・墳墓も重要文化財ということであります。確かに暮らしにくい?お父様(22代当主)が1人住んでおられて,お茶でもとおっしゃいましたが失礼いたしました。暖かくなったら四阿(あずまや)で食事でもしましょうとの話,実現するのが楽しみです。


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