坂の上の雲 第3巻 第4巻 司馬遼太郎

rensan2010-03-20

新装版 坂の上の雲 (3) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (3) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (4) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (4) (文春文庫)


第3巻では真之のことから始まっています。海軍の参謀となるべく本好きな真之は瀬戸内海の水軍関係の「能島流海賊古法」なども好んで読んで,源平の時代からの戦術を勉強したようです。「白砂糖は黒砂糖からできるのだ」という考え。「長蛇ノ陣」「虎陣」「豹陣」なども面白いものです。弱弱しい豹を敵前にうろつかせ,呼びき寄せて,虎がわーっと襲い掛かる,などは笑えてしまいますが,バルチック艦隊が来たときもそれを使ったといいます。正岡子規の死もこの巻にて書いています。17夜で月があかあかとのぼっていたという。その夜詠んだ高浜虚子は「子規逝くや十七日の月明に」。俳句,和歌の革新に勤めた子規は東京上根岸にて35歳という若さにて逝ったのでした。

広瀬武夫(1868-1904)

アリアズナ・コヴァレフスカヤ(1885-?)
広瀬武夫(1868-1904)も37歳で亡くなり,軍神などとも言われ文部省唱歌にもなった「広瀬中佐」も興味深い軍人です。軍神の方ではなく,ロシア軍にも尊敬され,ロシア貴族女性アリアズナ・コヴァレフスカヤ(1885-?)との純愛。名誉ある戦死で遺体はロシア軍が葬ったといいます。それほどの人気の軍人がかってあったでしょうか。写真を見るとそんなハンサムでも?ない。人は見た目ではない?彼女が愛したのは柔道の達人で男らしく,心優しく,誠実で竹を割ったような広瀬だったのです。ロシア語で彼女と手紙を交換していたという広瀬,日本人でかってこれほど愛され,もてた人があったのでしょうか。一方ロシアの名将マカロフもすばらしい人だったようです。「老人の多くはものに動ぜず,泰然としている。それは動ずるほどの精神の柔軟性をうしなっていることにすぎず,威厳でもなんでもない」含蓄のあることばです。しかし彼は勇敢すぎて旅順を飛び出してきて,海面下の機械水雷にかかり戦死してしまったのです。

Makarov(1848-1904)
第4巻では司馬氏は旅順での乃木希典(1849-1912)と参謀長の伊地知幸介(1854-1917)の無能ぶりをこれでもかと思うほどに書きなぐっています。何万の日本人の血が流れたか。海軍から203高地を攻めてほしいにも耳をかさず,相変わらず旅順要塞を正面から攻めていき死者の山を築いてしまった。「無能者が権力の座についていることの災害が,古来これほど大きかったことはないであろう。」とまで書いています。攻撃日を26日に行うのも兵を死なせにいかせるようなもの,ロシア側はその日を予定して準備していたらいい。火薬の準備に1ケ月かかる。南山を突破した26日が縁起がいい。26は偶数で割り切れる。つまり旅順要塞を割ることができる。「この程度の頭脳が旅順の近代要塞を攻めているのである。兵も死ぬであろう。」とも書いています。乃木と同じ長州藩出身の児玉源太郎(1852-1906)の参加がなかったら乃木自身も二人の息子と共に戦死していたかもしれません。

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