斎藤茂吉・愛の手紙によせて 永井ふさ子

永井ふさ子

斎藤茂吉・愛の手紙によせて

斎藤茂吉・愛の手紙によせて


秩父吟行会にて 昭和9年ころ(同書より)

朝日新聞be3/15「愛の旅人(斎藤茂吉永井ふさ子)」を読んで,二人の関わりに興味を持ちました。斎藤茂吉55歳,永井ふさ子27歳の恋愛。写真では永井ふさ子はとても美人です。エンスーとしてはすぐに新聞に紹介のあった,茂吉からふさ子への書簡集 永井ふさ子 「斎藤茂吉・愛の手紙によせて」を読みたくなりました。2,3の古本屋に問い合わせ送ってもらいました。誤解を招くといけませんので一言申しますが,歌人茂吉の存在には触れないで,永井ふさ子との関係でこの本の感想を書いています。昭和9年9月16日に向島百花園の「正岡子規忌歌会」で二人は初めて会っています。(同本「茂吉先生との出会い」より)茂吉52歳ふさ子25歳,ふた回りも違う年齢差です。よく言えば当事有名な歌人とそのファンの出会い,意地悪く言えば,単なる追っかけ的な出会いだったのでしょうか。ふさ子は四国松山から駆けつけています。茂吉は妻 輝子との不和で悩んでいました。

昭和12年10月12日「直ちに焼却のことたのみ升」とある(同書より)

昭和11年1月4日には仲見世,映画,うなぎやへ行き,そして初めてのキスを受けたと書いています。この年と翌年の手紙の数はすごいです。毎日,あるいは1日ごとに書いているようでもあります。11月26日の茂吉の手紙はもう愛の奴隷?「ふさ子さん!ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない,いい女体なのですか。」夏には「たけ子(妹)さんとふさ子さんの海水着の写真が出来たら御送りください」「二人の寫眞(海水着の)が欲しい!」何度となく写真の請求をしています。それに今で言うストーカーみたいなこともしてます。アパートの近くで待っていたり(11年10月24日)茂吉はぞっこんだったのです。老いらくの恋。そして常に,自分が出した手紙は,読んだあとは焼き捨ててと書いているのです。「直ちに焼却のことたのみ升」「片はしから焼棄てて下さい」としながらも「ああこひしい悲しい,ふるいつきたい」と次の手紙には書いています。婚約することにより,茂吉との関係を絶とうとしたふさ子に「またM氏(婚約者)からの甘美なところのみ二三行写し取って知らせて」という,これはもう変質者まがい,嫉妬の鬼?にまでなっています。12年の12月にはふさ子は婚約解消を決意します,また茂吉との恋愛関係も続けることもしなかったのです。

昭和11,12年は日中戦争が起きていて世の中は暗い時代に突き進んでいたのでした。戦争により二人の間は終わっていきました。71歳で茂吉はなくなり,ふさ子は44歳になっていました。ふさ子は生涯独身で過ごし,84歳でなくなりました。茂吉最後の手紙は20年5月19日付けで終わり,その後ふさ子は「先生との別離の当座は,何をみても涙の出る日々がつづいた。食事をしながらも,道を歩きながらも涙を落としていた。」これほどまでも歌人茂吉のこころを虜にした永井ふさ子とは・・。茂吉研究には必携の愛の書だと思います。

asahi_com:斎藤茂吉永井ふさ子 - トラベル「愛の旅人」より

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